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戸川芳郎教授略年譜



1932年(昭和 六)   八月二七日 父戸川二郎・母あいの四男として大阪市浪速区に出生
1938年(昭和一三)   四月 大阪市恵美第一尋常高等小学校尋常科入学
1938年(昭和一九)   三月 大阪市恵美国民学校初等科卒業
  四月 大阪府立今宮中学校入学
1948年(昭和二三)  四月  学制改革に伴い府立今宮高等学校第二学年編入学
1950年(昭和二五)  三月 大阪府立今宮高等学校卒業
1951年(昭和二六)  四月 東京大学教養学部文科二類入学
1953年(昭和二八)  四月  同  文学部中国文学科進学
1955年(昭和三〇)  三月  同   右      卒業
   卒業論文 「可」について
  四月 一日 父二郎の艱に丁う
  四月  先考の業、ラジオ公論社に勤務(同社発行「新ラジオ公論」紙の編集発行人)
一一月 一日 〔大阪府公立学校教員〕府立布施高等学校教諭に補す
1957年(昭和三二)  三月二九日 白井照子と結婚
1958年(昭和三三)  四月 一日 大阪府立市岡高等学校(定時制課程)教諭に補す
  四月 京都大学大学院文学研究科哲学専攻(支那哲学史)修士課程入学
一一月二四日 長男馨誕生
1960年(昭和三五)  三月 京都大学大学院文学研究科哲学専攻(支那哲学史)修士課程終了〔京都大学文学修士〕
―主として上古漢語の諸特徴をよりとらえた「前論理的」思惟の様相について
  四月 京都大学大学院文学研究科哲学専攻(中国哲学史)博士課程進学
1963年(昭和三八)  三月 京都大学大学院文学研究科哲学専攻(中国哲学史)博士退学〔所定単位修得〕
  四月三〇日 大阪府立市岡高等学校(定時制課程)教諭依願免職
  五月 一日 〔文部教官〕東京大学助手教養学部(中国語)に採用
1965年(昭和四〇)  三月一二日 次男景誕生
一〇月 一日 お茶の水女子大学講師文教育学部に昇任(外国文学・中国文学専攻担当)
1966年(昭和四一)  五月一〇日 お茶の水女子大学大学院人文科学研究科(中国文学専攻担当)
1967年(昭和四二)  一月 一日 お茶の水女子大学助教授文教育学部に昇任
1972年(昭和四七)  四月 一日 東京大学助教授文学部に配置換(中国哲学専修課程担当)
  四月 一日 東京大学大学院人文科学研究科(中国哲学専攻担当)
1978年(昭和五三)  五月 一日 東京大学総長補佐(広報・文学部問題担当)(~1979年6月)
1979年(昭和五四)  四月 一日 東京大学教授文学部に昇任(中国哲学専修課程担当)
  中国哲学中国文学第三講座担任
  五月  文学部第二委員会委員(副委員長・委員長)(~1980年3月)
1980年(昭和五五)  四月 東京大学学寮委員会委員(副委員長・委員長)(~1981年3月)
  文学部中国哲学研究室主任・大学院中国哲学専攻主任(~1987年3月)
1981年(昭和五六)  四月 外務省特別研究員(文化専員)として在中国日本国大使館(北京)に勤務(~1982年3月)
一〇月二五日 母あいの憂に丁う
1983年(昭和五八)  四月 一日 東京大学評議員(文学部選出)に併任(~1989年3月)
1984年(昭和五九)  二月 文部省学術審議会専門委員(~1987年3月)
1987年(昭和六二)  四月 一日 東京大学文学部長に併任(~1989年3月)
  文学部附属文化交流研究施設長に併任(  〃  )
  文学部附属北海文化研究常呂実習施設長に併任(  〃  )
大学院人文科学研究科委員会委員長(  〃  )
大学院協議会協議員(  〃  )
  五月 一日 東京大学入試監理委員会副委員長(~1988年4月)
  〃  入試実施委員会委員長(本郷地区委員長)(  〃  )
  〃  入試教科委員会委員長(本郷地区委員長)(  〃  )
  〃  外国語(英語)聞き取り試験実施連絡委員会委員長(  〃  )
  〃  身体障害者入試検討委員会委員長(  〃  )
1988年(昭和六三) 一一月 財団法人東京大学綜合研究会第七一回東京大学公開講座委員会委員長(「気の世界」)(~1989年5月)
1989年(平成 元)  四月 東京大学別枠入試委員会(副委員長)(~1992年3月)
  九月 北京日本学研究中心主任教授として中華人民共和国北京(北京外国語学院)に勤務
1991年(平成 三)  七月 日本学術会議会員に任命(第十五期・第一部)(~1994年7月)
  十月 一日 東京学芸大学教授教育学部に併任(~1992年3月)
1992年(平成 四)  三月三一日 停年により東京大学教授退職

高柳信夫・長谷部英一・古勝隆一・志野好伸作成「戸川芳郎教授略年譜」(東京大学中国哲学研究会『中国哲学研究』第4号、1992年/1992 Chugoku Tetsugaku Kenkyu No.4)より転載